あくびのくらし

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大切なことは出発することだった
大切なことは、出発することだった。

浅き川も深く渡れ。

目に見えるものに価値を置く社会と、目に見えないものに価値を置くことが出来る社会の違いをぼくは思った、そしてたまらなく後者の思想に惹かれるのであった。

人間の為でも誰の為でもなく、それ自身の存在の為に自然が息づいている。その当たり前のことを知ることがいつも驚きだった。

オーイ、時間よ、子どもの頃のお前にもう一度会いたいね。

あらゆるものがどこかでつながっているのさ。

あわただしい人間の日々の営みと並行して、もう一つの時間が流れていることを、いつも心のどこかで感じていたい。

まだ幼い子どもを見ている時、そしてあらゆる生き物たちを見ている時、どうしようもなくひきつけられるのは、今この瞬間を生きているというその不思議さだ。

人の言葉ではなく、いつか見た風景に励まされたり、勇気を与えられたりすることがきっとあるような気がする。

最後に意味を持つのは結果ではなく、過ごしてしまったかけがえのないその時間である。

自然の終わりはいつも何かの始まりである。

ハクトウワシ、
ぼくがこの森に近づいてくるのを、ハクトウワシはじっと見ていたのだ。

これからどんな旅が待っているのか自分自身にも分かりません。が、どれだけ長い時間をひとつの土地で過ごそうと、まだすべては見ていないという心の白地図だけは、いつまでも持ち続けたいものです。


いつかお前に会いたかった。

幸福を感じる瞬間とは、ありふれていて華々しさのない、たまゆらのようなものだった。

風こそは、信じ難いほどやわらかい真の化石だ。

寒いことが人の気持ちを暖めるんだ。離れていることが、人と人とを近づけるんだ。

遠い昔に会った誰かが自分を懐かしがっていてくれる。それはなんと幸福なことだろう。

かけがえのない者の死は、多くの場合残された者にあるパワーを与えてゆく。

人はいつも無意識のうちに、自分の心を通して風景を見る。

「ヘレン、人生の中で一番大切なことって何?」彼女は迷わず答えたものだ。
「友達よ」と・・・・。
僕はこの言葉を一生忘れないと思う。

偶然の一致に意味を見出すのか、それとも一笑に付すか、それは人間存在のもつ大切な何かに関っていた。その大切な何かが、たましいというものだった。

人と会い、その人間を好きになればなるほど、風景は広がりと深さを持ってきます。やはり世界は無限の広がりを内包していると思いたいものです。

人は生きているかぎり夢に向かって進んでいく。夢は完成することはない。しかし、こころざし半ばにして倒れても、もしその時まで全力を尽くして走りきったならば、その人の一生は完結しうるのではないだろうか。

一頭のクマを見たことで、あたりの空間は突然ひとつの意味を帯びてくる。それが極北の自然だった。

アラスカの自然を旅していると、たとえ出会わなくても、いつもどこかにクマの存在を意識する。今の世の中でそれは何と贅沢なことなのだろう。クマの存在が、人間が忘れている生物としての緊張感を呼び起こしてくれるからだ。もしこの土地からクマが消え、野営の夜、何も怖れずに眠ることができたならば、それは何とつまらぬ自然なのだろう。

どこにいようと、すべてのものに平等に同じ時が流れている。その事実は、考えてみると、限りなく深遠なことのような気がしてくる。

さまざまな人生の岐路に立った時、人の言葉ではなく、いつか見た風景に励まされたり、勇気を与えられたりすることがきっとある。

時々遠くを見ると、それは現実の中で悠久なものとの出会いを与えてくれる。



人間がもし本当に知りたいことを知ってしまったら、私たちは生きてゆく力を得るのだろうか。それとも失ってゆくのだろうか。
そのことを知ろうとする想いが人間を支えながら、それが知り得ないことで私たちは生かされているのではないだろうか。

その人間のもつ世界の広がりは平面の距離ではなく、しわのようなものかもしれない。どれだけたくさんのしわを持ち得るかなのかもしれない。そんなに遠くへ出かける必要はないようだ。
アラスカを13年旅してきて僕はやっとそのしわの存在に気付いた。

もし本当にやりたいことがあって、少しでも可能性があるならば、とりあえずいっぱい突っ込んでみたい。もしはね返されたのなら、それはそれで何かを学ぶことが出来るはずだ。

たとえ親であっても、子どもの心の痛みさえ本当に分かち合うことはできないのではないか。ただ一つできることはいつまでも見守ってあげるということだけだ。その限界を知ったときなぜかたまらなく子どもが愛おしくなってくる。

                            星野 道夫(写真家)
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